法律が存在した理由

 新政権になってから犯罪の時効期限を始め、ダム建設、高速道路、子供手当と立て続けに長年続けてきた大改革が行われた。長年続いて来た制度、習慣には当然それなりの理由があり、国民もそれを是として尊重してきた。
 国家の制度の中には明治以後百年も続いている制度もあるが、それなりに機能はしてきている。それらの制度を長年の成果の検証もせずあっという間に国会で改正してしまうということには、裁判員制度導入と共にどうにも私には納得できない。
 殺人罪の時効の廃止、被害者の立場としては当然の思いである。犯人を捕まえなければ被害者はうかばれない、被害者家族の悲しみにどうしても区切りがつかない、当然である。私ごとくがよけいなことを言う問題では無いことは重々承知である。
 しかし誰も文句の言えない問題だから、法律家も警察関係者も口を噤んでしまう、マスコミも意見を言わない世の中はけして健全な社会とは言えないだろう。未解決の殺人事件に費やされる捜査官は永遠に従事する訳にも行かないだろう、膨大な捜査資料はどの様にして何処に整理して保管するのだろう。犯罪は毎日のように発生している、時効が無くなれば警察は天文学的な数字の犯罪に取り組まなくてはならないことになる。結果として犯罪検挙率が下がり、裁判は判例がくつがいされ、逆に冤罪も増えてしまう事も有るのかも知れない。
 子供手当を手続きしに来た人が海外に養子が何百人も居ると申請したそうである。当局は当然拒否することになるのだが、思いも寄らぬ事態に裏付けとなる法律や制度があるのだろうか。無料化された高速道路が犯罪の温床となることも充分考えられるし、子供手当は認知、離婚等の問題と深く関り、今後想定しなかった事態が発生することは当然予想されるのである。
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