「腹が立つ」事の分析

 先日中年の男二人が駅のホームでつかみ合いの喧嘩をした揚げ句、両者とも走り出した電車に触れて死亡したという馬鹿馬鹿しい事件が起きた。原因は車内で肩が触れたことにあったそうであるが、ご家族の思いはいかばかりだろう。いい歳の大人が全くくだらない事で命を落としたものだが、本人達は前後が分からなくなる程腹が立ったのだろう。
 私も些細なことで相手に飛びかかる寸前の腹立しさを感じることがある。危ない危ないと冷静になってから反省するのだが、その腹立たしさはその原因を思い出すたび一週間ぐらい続く。
 歳を取ると気が短くなると良く言われるが、歳を取ってから実に人格が円満になり、もめ事があっても理由の如何を問わず、頭を下げる人もいる本当に立派である。元グレコののチャンピオンで若い頃は喧嘩っ早く、八田会長から「段位」喧嘩十段を頂いた、自他とも認めた乱暴者であった友人は、歳を取るに連れ円満になり、もう20年は喧嘩はしたことはないという。
 先輩、いい歳をして腹を立てては駄目ですよ、と私を何時も諫めてくれる。穏やかな人間関係を作って今は立派な会社の社長である。
 そもそも腹が立つということは、何処が立つのであろうか。腹に感情があるわけはなく、胸に思いがあるわけもない。要は脳が外部からの情報に反応して感情が高ぶったり、手足を動かしたりするのだろう。
 では何で感情が高ぶるのだろうか、色々なケースがあるだろうが、主には自分の持っているプライドを傷つけられることから感情的になることが多いと思われる。逆に言えば自信のないところを突かれると感情的になるとも言えるかも知れない。
 私の周りにも過去の経歴にこだわる人がいる、誰を知っている、彼を知っている、という人もまた自信のない人なの虚栄の裏がえしなのだろう。親友「喧嘩十段」の様に淡々とした円満な人物になるにはまだまだ修行が足りない私である。

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