ちょっとした心遣い

 久しぶりに広島に長旅をした、広島県尾道市は亡くなった妻の故郷である。
 山陽新幹線がまだ出来て居なかった頃は一日がかりで広島に行ったものだった。今は僅か4時間足らずで着いてしまう。新幹線のお陰で広島もそんなに遠い処ではなくなった。

 新幹線の中でうとうとしていると、前の席の子供が泣き出した。母親があやしているようだがなかなか泣きやまない。私も歳を取って堪え性が無くなり、子供の泣き声が気になってしかたがない。子供は泣くものであることはよく分かっているが、なかなか泣きやまないと腹が立ってくる。デッキに連れてゆけばよいのに、とか、抱いてあやせば泣きやむだろうに、などと、腹立たしく思っていた。
 私はトイレに立った時、泣きやまない子供の母親と目があった。「すみません」と母親は小声で言った。ぱっと私の心が変わってしまった。「子供は無くものですよ気にしないでください」思ってもいなかった言葉が私の口から飛び出した。
 何なんだろう私の心の変わり様。決して若い母親だったから良い格好したのではない。母親のすみませんご迷惑をお掛けします、という態度が私を豹変させたのだ。
 気遣い心遣いとは実に相手の心に響くものだとつくづく感じた次第である。

 日本には古くから江戸しぐさと言われるものがある。江戸しぐさとは常に相手を尊重するマナーの事を言っている。傘を差してすれ違うときは、傘を斜めにする。傘かしげ、渡し船で人が皆座れるようにこぶし一つ分だけ腰を浮かせてつめる。拳浮かせ、今の世の中にも充分通ずるマナーである。
 最近は色々な面で江戸文化に学べと言われている。ほんのちょっとした心遣いが意地悪爺の心を一変させた出来事であった。
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