懐かしい街

私は東京の中野区野方町で生まれ育ったのだが、父が浅草、御徒町、で育ったので、何かにつけ浅草や上野等連れてゆかれたので、浅草上野が古里のように気がする。
 高校も親父の出身校である文京区白山の京北高校に入学した。京北高校に入学したお陰でレスリングに出会ったのだから、親父に感謝している。京北高校ではレスリングのほかに、今だ兄弟のように付き合うかけがえの無い友人達とも巡り会った。
 浅草、上野は下町独特の感性を持つ懐かしい楽しい友人達がいまだ住んでいる街である。お茶の水も懐かしいところである。先日も明大応援団OBの中村さんと山の上ホテルのバーで呑んでから、明大ホールにジャズを聞きに行った。駿河台の明大、聖橋の中大、かつては大学レスリングを二分した強豪であったが、今はともに情けない状態である。
 高田馬場も懐かしいところで、今でも週に一回は一人で飯を食ったり飲みに行ったりしている。高田馬場は早稲田の本拠地だが、私は早大OBより高田馬場を知っていると思っている。私達が小学生だった昭和二十年頃の西武線は高田馬場が終点で西武新宿駅はなかった。戦後の西武沿線に育った少年達は高田馬場、新井薬師、東伏見の早大プール、が遊び場で何処にも歩いていった。少年時代の悪童達は、高田馬場の早稲田中学、早稲田高校、早稲田実業、に入学した。当時はこれらの学校は早稲田大学とは関係無く、海城、保善、明大中野などの不良仲間とも高田馬場でよく遊んだ。
 私の育った西武線野方駅付近は賑やかな商店街があり、今だに商店街は活気が満ち、戦後からの商店も健在である。戦後は野方駅の南北に二軒映画館があって、沿線の町から沢山の人が集まってきていた。北口にあった西武座にはエノケンや長谷川一夫の銭形平次を良く見に行った。
 西武座の前の鰻屋で大東大レスリング部OBの安田君が修行していたそうである。その後、安田君は静岡県三島市に移り、三島市の広小路で人気の居酒屋を経営しながら、少年レスリングの指導に当たっている。私は大学を出た後三島市清水町の会社に出入りしていたので、三島は旨い鰻丼を食った、懐かしい街である。
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