教員免許の不思議

 教員採用試験の不正で教育界の権威が大きく揺らいでいる。問題になっている大分県の問題は氷山の一角で、ほとんどの都道府県で似たようなことは行われているというのが一般の見方だ。各県の教育委員会の幹部のあわてぶりが見えるようだ。教育界は特殊な社会だと言うことは聞いていたが、聞きしにまさる酷さだ。
 ところで私が以前から不思議に思っていた事は、教育免許が簡単に取得出来ることである。特に音楽大学、体育大学、その他の専門学科のある大学を卒業すると、僅かな教育実習をしただけで、自動的に教員免許が取得できるのである。勿論、教員免許を持っているからといってもすぐ教員になれるわけではないが、公立私立を問わず例の教員採用試験の関門をくぐれば教員になれるのである。そこで例の情実採用が発生するのである。
 採用に当たっては試験の結果だけで採用を決定するのではなく、「教員としての要素を多角的に審査して採用を決める」という都合の良い理屈があるのである。教員採用にまつわる情実不正の噂はあらゆる県教育委員会である。私立においても、経営陣の意向が教員採用に大きく反映している。何でこんな事になるのか?
 要は教員免許が簡単に取れすぎて、安定した職業である教員になりたい人が多すぎるからである。弁護士、医者、弁理士、税理士等、教員以外の国家資格は取得が大変難いが、難関を突破して資格を取得すれば仕事にあり就けない例はほとんど無い。しかし、教員資格は簡単に取得できるため、取りあえず取得しておこうか、という学生も多く、茶道や華道の師範免許取得程度に考えている女子学生も多い。
 教員の質の向上は将来の日本の根幹をなすものである。いっそのこと教員免許などなくして、広く人材を求めて、教員を採用する学校の校長を始め、地域の有識者、父兄代表などで、教員採用を決定するのも一つの方法だと思う。
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