貧しい時代
 
 私が小学校に入学したのは終戦の翌年の昭和21年であった。東京は焼け野原で食べるもの、着るものさえなかった。当時は父親や兄さんが出征して、戦死したり復員してていない家庭も多く、小さな子供が5人ぐらい居る家庭は普通であったから、本当に悲惨なものであった。
 しかし、そんな環境でも子供達は立派に育っていった。勉強に、遊びに、はつらつとしていた。私は当時のことを思い出してみると、遊び廻った楽しかったことばかりである。遊びは、野球、相撲、ドッチボールを始め、数限りなくあった。今考えてもよくまあ色々と遊んだものだと思う。
 遊びには指導者なんていうものはなく、ルールも子供達で勝手に作った。戦後の貧しかった時代に何故あんなに楽しく、多岐に渡った遊びがあったのだろう。子供達だけでハゼ釣りは東雲に、フナ釣りには多摩川に、稲毛には潮干狩りに行った。母から貰った僅かな金で毎日銭湯に行き、帰りは駄菓子屋にも寄った。
 勝負事も小学生の頃から、べーごま、メンコは勿論、花札、トランプ、囲碁、将棋、全てマスターした。夏休みは毎日のようにプールに行ったし、冬休みはろくに着るものもないのにほとんど外で遊んでいた。雪でも降ろうものなら身体の芯が冷えるまで雪まみれになって暗くなるまで遊んでいた。
 子供達は毎日腹が減っていたので、コッペパン、コロッケ、ふかし芋、何を食べても美味しかった。大人達は子供の一挙一動に喜び悲しみ怒り皆優しかった。
 最近の殺伐とした世相を見るに付けて、人間社会は少々貧しい方が優しくなれるし幸せなのではないかと思ったりしている。
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