拓殖大学

 10月、拓殖大学のロンドンオリンピック大会選手団の祝勝報告会が地元文京区の後楽園ドームホテルで盛大に挙行された。レスリング4名、マラソン2名、ボクシング1名、計7名のオリンピック選手を排出した拓殖大学は長い歴史の中で最高の成績であったという。特にレスリング米満達弘の金メダルは建学以来の快挙です。
 拓殖大学レスリング部の歴史は古く戦後の大学リーグ戦では大いに活躍した、昭和30年代レスリング会館で行われる大学リーグ戦の拓大の応援団はひときわ目立っており、ばんから学生が紋付き袴で踊る「きっと勝ちます勝たせます」の応援は今も私の記憶に残っております。中大レスリング部と拓大レスリング部は都電では数駅の所にあった事もあり拓大の選手がよく中大富坂道場に出稽古に来ていた。同期の高比良はローマオリンピックの代表になり、前田猛も全日本の強豪であった。その後低迷期が続き日刊スポーツの宮沢さんが監督となり、福田富昭、金子正明、それに私が応援を頼まれ、拓大道場に練習に出かけて行き、まだまだ強かった我々は五人も六人も相手に汗をかいた。特に福田富昭氏はコーチだけでなく選手の勧誘までも情熱を傾け、当時の二部昇格まで力を発揮した。先日の祝勝パーティーで「我々はご恩は忘れません」と記された立派な表彰状を頂き、改めて拓大の校風を感じた次第です。
 私が現役の頃大学合同合宿で地方に行った時など拓大の選手には宿舎に必ず面会の人が訪れ、拓大何期の誰々ですと名乗り初対面の拓大の学生を土地の名物を食べに連れて行く姿にうらやましく思ったものです。
 拓大の先輩達は学校の壁など無く中大や日大の学生の面倒も見てくれました。北岡太先輩、神田幸二先輩、関忠与先輩には本当にお世話になりました。今や中大はリーグ戦で下位を低迷し拓大には歯が立たない現状です。西口部長を始めOBの情熱ある指導が大きく花開き米満選手の金メダルを生んだのでしょう、我々世代としては拓大の大躍進に驚き、仲間として我が事のように嬉しく思うのです。

 悲しい連絡がありました。先日疋田周二拓大元監督が亡くなられたとの訃報です。何時もにこにこ穏やな疋田さんには、少年レスリング、女子レスリングの発足当時から、連盟 発展に貢献して頂きました、柔道整復師として立派な業績を残し、穏やかな笑顔が忘れられません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

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