オリンピックの柔道に思う

 私は中学の3年間ほとんど毎日柔道をしていた。小さいながら野方警察の少年柔道大会で優勝したこともある。であるから今でも柔道に興味があり大好きである。
 ロンドン大会は日本柔道は成績は揚がらなかったが、私はある程度予想していたし各選手よく戦ったと思っている。期待されて敗れた女子軽量級の福見、中村の両選手の姿は痛々しく勝負の厳しさをつくづく感じてしまう。彼女たちの今後はどうなるのだろう。柔道関係者はもとよりマスコミも優しい手をさしのべてほしいものだ。
 柔道の国際化がスポーツ化が招いた結果とはいえ柔道は道着を掴まない競技になってしまった。我々の知っている柔道着はタブタブで袖も大きく手首まであった。その上での技の掛け合いから背負い、体落とし、払い腰等々多彩な技か繰り広げられたのである。現行世界の柔道の道着はルールはあっても大まかでそれぞれの国で作られている従って各国は捕まれにくい道衣を開発していると思われる。
 試合前にチェックしているというが、別の道衣を着替えて試合に臨んでも全く分からない。私の見た目には丈が短く、袖が明らかに細い柔道着があった。極端に言えば捕まれる部分を滑りやすいロー等を付けた糸で作られても分からない。
 レスリングでも過去に汗をかくと滑るクリームを足に塗って試合に出ていた選手もいた。どの競技でもルールに沿って自国のユニホームは自国のデザインで作られているがそれは何の問題もない。しかし柔道だけは全く違う。ユニホーム「柔道着」をつかみ合って試合が成立するからである。国際試合は審判部から提供された柔道着で試合をすべきである。
 正しい柔道、きれいな柔道と言っても、世界には通じない。ルールの内なら何でもありである。柔道着がはだけても試合は続ける、帯を持って良いのか悪いのか、柔道のルールの曖昧さが今回テレビ桟敷の不審を買った原因だと思う。
 日本の国技相撲では、はたき込みで勝っても批判される。その様な日本の武道文化は世界のスポーツとは別物であると思わなければならないだろう。

 
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