うがった見方

 本日は暑い暑い終戦記念日である、私の記憶にある終戦の日も実に暑い一日であった。
 私の友人である韓国の権さんが仕事で来日しているので昼食を一緒にした。八月十五日は韓国では戦勝記念日である。お互い複雑な気持ちで、戦争について話し合った。
 権さんが私の胸に響く強烈なことを言った。「今泉さん、私の実家は農家です。戦時中韓国の農家は苦労して取り入れた米を残らず日本に持って行かれてのですよ。私の父はこの恨みは絶対忘れないと言っていますよ。」私は何も言えなかった。

 私の亡くなった妻は広島で原爆に遭遇している。妻の父は広島市の被爆の後始末に従事し、原爆症となった。妻の親族は癌で亡くなった人が多い。妻の死因もそうだった。被爆の影響かもしれない。戦争とは酷いものだ、しかし戦争は無くならないだろう。

 久間防衛大臣の「原子爆弾の被爆はしょうがなかった」発言はマスコミに大きく取り上げられ、野党はもとより、与党からも批判を受け、辞任の憂き目にあった。長崎、広島県人はもとより国民の反発を買い、全く弁解の余地のない辞任となった。
 久間氏は長い衆議院議員のキャリアがあり、どちらかと言えばリベラルな議員だと言われている。イラク問題でもブッシュ大統領の方針に批判的な発言をして物議をかもしだした。そんな長崎出身の久間氏がなぜあのような発言をしたのか、イラク戦争批判の埋め合わせか。
 へそ曲がりの私はうがった見方をしてみた。
 米国上院は日本の従軍慰安婦問題を非難する。決議を圧倒的多数で決議した。事実を正確に精査もせず、米国はおかしいのではないか。友好国日本を非難する決議をするとはとんでもない。と言う意見は日本国内にも少なくない。そんな米国議会を日本はまともに非難は出来ないので、久間は防衛大臣の身を挺して、米国は敗戦の間違いない日本になぜ原爆を投下したのか。非戦闘員である婦女子を何十万人も殺したのか、という問題を提起したのではないか。日本国会は米国の原爆投下の議会非難決議をするべきであるという主張を与党には勿論、批判ばかりで何もしない野党にも促したかったのではないか。
 もしそうなら大した政治家なのだが。
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