小説 「密約」


この文は全て私の妄想であることをはじめに記しておく。


 IOP会長ゲロとレスリング協会会長マルテは5カ国語をしゃべり旧知の仲である。彼らはヨーロッパのスポーツ界の中心に長く権力を維持してきた旧知のの仲である。
 IOPをはじめ、各競技団体の役員はほとんどがヨーロッパ勢で牛耳られている。その理由は、オリンピック発祥の歴史もあるがヨーロッパの地域性と言語にある。ヨーロッパ人は3〜4カ国語を話す人達は普通である。であるから人種もほとんど変わらぬ人達の意志の疎通は実に良くできるのである。

 近代オリンピックは貴族社会から発祥してことは良く知られるところである。今の会長ゲロも大きなヨットを持ち地中海遊覧を楽しんでいるセレブである。前会長サマランも銀行のオーナーで、近代五種代表で選考委員になったサマラン・ジュニアもスペインの大富豪である。
 この様な人達で構成されているIOPは米国、ロシア、中国の参入をヨーロッパ人独特の駆け引きで阻んできた。彼らの感性は日本人には到底理解できない、彼らには日本人の言う騙し裏切り等ということは時には生きる術なのである。
 中央ヨーロッパは歴史的にローマ、トルコ、ドイツ、ロシアに何百年も制圧されて来た民族である。生き抜くためには何でもありである。日本のように一度しか戦争に負けたことが無いのに六十年たってまだ敗戦を引きずって義理だ真義だといっている国とは根本が違うのである。

 ヨーロッパ人もまた優しく常識のある紳士なのである。四面海に囲まれ大陸の血もほとんど入らず、小柄ながら知恵と嗜みで独特の文化を築き上げた日本人には理解し得ないヨーロッパ人の心がある事を日本人も学ばなければならないだろう。

「マルテ、折り入って君にしかできない大仕事を頼みたいのだ。聞いてくれ。」

ゲロ会長はローザンヌの小さな行きつけのレストランで、マルテにかねてよりなんとしても頼みたいと言っていた話を始じめた。

「怖い男だねゲロは、言わなくとも、先日からの様子でだいたいは分かっているよ。」

「それが分かってくれていれば話は早い 」

「それで報酬は何だ」

「君には何でも欲しいものは差し上げる、それとかねてから要請のあった女子の増員も十分考える、そうすれば君のレスリング連盟での立場も盤石になるだろう、君だってスイス人と言ったって米国フロリダの豪邸に住み、スポーツのお陰で優雅な生活をしているのだからお互いのために一肌脱いでくださいよ。」

 ゲロのオリンピック種目選考委員会の筋書きは以下の様なものだった。

「韓国は何が何でもテコンドーを残してくれと次期大統領まで陳情に来ている。宗教家・故文誠は強力に押し進めてきたテコンドーの世界普及に莫大な資金を投入している。テコンドーがオリンピックからはずれることだけは韓国は国を挙げて阻止しなければならない。一方、近代五種は軍事に大きく関わる競技であり、射撃、フェッシング、競技とも競合する種目があり、落選候補の筆頭である。近代五種は既に近代ではなく最も古い軍隊の競技になってしまっているのである。如何にしてもオリンピックに存続したい近代五種連盟は前IOP会長サマランのジュニアを代表として選考委員会に送り込んだのである。今のIOP役員は前会長サマランの世話でIOP役員になった人物が多く、自己の立場の維持に汲々としている。テコンドウも近代五種も落選したら復活は永遠に無いだろう。しかしレスリングは一度落選しても米、露をはじめとする強大な世界の組織で必ず復活を果たすだろう。レスリングを排除すれば私は勿論、IOPの選考委員はIOP役員会で大変な非難をあびるだろう。命の危険を感じる場面もあるかもしれない。何しろイスラムゲリラにはレスリング選手も多くいるという。IOP本部に自爆テロだってあるかもしれない。そのぐらいの大事になる事を覚悟してでもマルテ君に頼むしかないんだよ」

 ゲロは品の良い美しい壮年の顔を引きつらせながらマルテに頭を下げた。勿論途方も無い金も動いただろうし、独裁者、前会長サマランに役員にして貰った義理もあっただろう。日本の常識では考えられないが世界では当たり前のことが起こっただけなのである。一度状況が変われば彼らは何の恥じらいもなくレスリングが外れるわけがないなどとほざき、レスリング関係者にハグして良かった良かったと髭面をすりつけてくる事だろう。それを笑顔で受け入れて「有り難う、今後ともレスリングのこと頼みますよ」と言える日本人は福山富吉会長ぐらいしかいないだろう。赤穂労浪士の討ち死では世界は通用
しないのである。
 世界は色々な人々が色々な状況で生き延びている。例えばレスリング強国アゼルバイジャンはイスラム教であり、隣のアルメニアはキリスト教である。この2カ国は今でも占領を繰り返し殺略が繰り返されている。それでも二つの国はレスリング競技ではルールを守って試合するのである。こんな事日本人に理解できるだろうか?

ゲロは言った。
「マルティ、私の任期は九月で終わる。それなりに成果も残したと自負している。見識も教養もないく金だけがあり地位をほしがる輩を纏めるのは君も知っているように並大抵の努力じゃないぞ。引退後は名誉職について豊富な資金と名声で優雅な生活を送るつもりだ。アジア人やアフリカ人を同じテーブルに付かせてヨーロッパの貴族のマナーを教え込むのだからいずれにしても大変だし、強引な事もしなければならないよ。」

「ゲロ、結果はそれでどうするのだ」

「五月のIOP総会はロシアだよ、ロシアがだまっているわけがないだろう、ブータンだって出てくるだろう、残る八競技にレスリングを入れて三つに絞り九月総会でレスリング国、日本かトルコにオリンピック開催祝いにレスリング復帰を付けてやれば万々歳だろう。そこで私の仕事は完結だよ。」

ゲロとマルテはニタリと笑い最高級ワイン シャトー ラトゥールを飲み干した。

 
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