ロンドンオリンピック

 ロンドンオリンピックもあと1年と迫った。来月の世界選手権から激しい予選が始まる。ロンドンオリンピックに日本は何人代表権を勝ち取るか期待と不安でいっぱいである。

 1948年第二次世界大戦直後ロンドンで開催されたオリンピックには敗戦国日本は国際連盟より参加資格は得られず不参加となった。我が国のオリンピック史にロンドンオリンピックはない。しかし、レスリングを明治大学で学んだ3人の韓国選手がロンドンオリンピックに参加していたのである。勿論大韓民国代表であるが羽田空港を経由してロンドンに向かう3選手に復員してきた明治大学9代目主将村田恒太郎以下明大OB達は、羽田に集まり熱烈に韓国選手団を見送った。この3選手は黄柄寛(コウヘイカン)、金石永「キンセキエイ)、金競煥(キンコクカン)である。
 1939年に村田恒太郎が明治大学レスリング部に入部した時は大学リーグ戦6連覇の記録がスタートした年であり、朝鮮籍選手は10人を数えていた。特に明治大学7代主将は金鐘爽(キンショウセキ)であった。当時の日本大学スポーツ界にあって朝鮮籍選手が主将になった例は昭和13年早稲田大学バスケット部主将の李相伯(リソウハク)ただ一人だった。明大7代目主将に金鐘爽を主将に指名したのは6代目主将清水禮吉であり、その公平な決断に明大の部員達は「誇らしく思った」と村田は当時を振り返って語っている。
 この話は九十歳を迎えた村田恒太郎レスリング協会最高顧問を自宅に訪ねて聞いた話である。話は太平洋戦争と朝鮮戦争に平行してまだまだ続くのであるが今編はこれにとどめることにする。

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