モスクワオリンピック

 1980年のモスクワオリンピックはソビエトのアフガニスタン侵攻に抗議した米国をはじめとする西側諸国のボイコットに同調した日本政府の強い指導により、日本オリンピック委員会はオリンピック選手団の派遣を全面的に中止したのだ。今考えても酷い話である。
 金メダルに最も近いと言われていた、柔道の山下、マラソンの瀬古、レスリングの高田、伊達、富山等は4年間の必死の努力が無に帰してしまった、特に伊達と高田は歴史に残るオリンピック二連覇を逸してしまったのである。

 私にとってはそんなに昔の話ではないと思っていたが既に30年も前の出来事なのである。
 モスクワ大会のレスリング選手団監督は福田富昭現レスリング協会会長であった。福田監督はJOCに対して選手を派遣すべきだと主張し、最後の最後まで食い下がった。JOCは文部省の指導で当初から派遣中止を決めていた節があり、選手団には煮え切らない態度で終始し更に混乱を深めてしまった。おざなりに開いた選手との話し合いの席で、君らの悔しい気持ちはよく分かる、などと薄っぺらな事を言って、その場を納めようとした一部JOC幹部の馬鹿面を今でも覚えている。

 それから四年後のロスアンゼルス大会で、柔道・山下、レスリング・富山等はまさに苦節8年見事金メダルを獲得した。我がレスリング陣は富山、宮原の金メダルをはじめ、メダル獲得9個の大勝利であった。
 しかし大会開会式で今では考えられない大事件が発生したのである。開会式で入場行進した富山選手が禁止されていたカメラを持っていた事をJOC幹部が咎め、選手村から追放するなどとマスコミに発表したのである。これはモスクワボイコット問題で、激しくJOCに反抗したレスリング協会への遺恨返しだと私はは思っている。金メダル候補の富山を選手村から追放できるはずもないのに、JOCの面子だけで富山選手を追放するなどとマスコミに話してしまったJOC幹部は引っ込みがつかなくなり、富山のカメラを取り上げてしまった。
 マスコミはこぞって富山擁護にまわり、水泳選手をはじめ他に多くの選手が入場行進にカメラを持っていた事実をJOCに突きつけた。やりすぎたと感じたJOCは手のひらを返すようにこの問題に振れなくなり、福田監督との接触もひたすら避けていた。試合前に無用なトラブルを避けたかったレスリング協会は、試合が終わるまではじっと我慢を続けた。
 念願の金メダルを獲得した富山選手をマット上で肩車した福田富昭監督は、次の日からJOCに対して大反撃に移った。
 まず、入場式で禁止されたカメラを持ち込んだことは富山が悪い。しかし選手村から追放されるような事なのか。また、水泳はじめ他にもカメラを持った選手がいた事はマスコミの写真でも証明されている。入場式の写真はあらゆる角度からマスコミによって多数撮られている、是非公開の場で検証して欲しい。また、富山から取り上げたカメラとフイルムはどうするのか。もう一度JOCとしての正式見解を聞かせて欲しい。と福田会長はJOC幹部に迫ったのである。
 入場式のカメラ持ち込み禁止などと言った時代遅れの本部役員の態度は痛烈なマスコミの批判を浴び本部役員は困り果ててしまったのである。帰国のチャーター機の中で福田監督と親好のあったJOC幹部は、福田監督に対し、我々にも行き過ぎたところがあった事は認める、カメラもフイルムも返すから、なんとか円満に納めてくれないかと懇願したという。
 帰国後レスリング協会が開催した祝勝会にJOC幹部を招待したが数人しか現れず早々に退席してしまった。

 早いものであるこんな事件が起きてから既に30年も経ったのである。
戻る