関西レスリングの先覚者

 第二次大戦後、各大学が復員大学生を中心に戦争で中断したレスリングの練習を再会した。GHQによって柔道が禁止されていたこともあり、敗戦のうっぷんを晴らすかのように若者達はレスリングに熱中したのである。

 関東では早大慶大を始め、明治、専修、立教、拓大、新興勢力中大が激しくしのぎを削った。貧しかった戦後の混乱の中から生まれてきたのが、石井庄八、笹原正三、池田三男(「中大)、北野祐秀(慶大)、笠原茂(「明大)、永里高平(早大)選手等であった。
 戦後の大学レスリングは関東を中心に発展し、学生選手権、全日本選手権は東京青山レスリング会館で開催された。

 関西レスリング界は協会組織規模、レスリング人口、全く不利な条件の中、田村、松井、井川等の関西レスリング協会幹部の熱意で、関西学院、同志社、関西大学が中心となり、関東の強豪に対抗できる選手を全日本選手権、学生選手権に選手を送り込んできた。
 岩野悦真、高橋義行(同志社)、植木宏(関学)、横山勝利、押立吉郎、西脇義隆(関大)選手等は関東の強豪と一歩も引けを取らず戦った関西の名選手である。

 昭和30年代まだ貧しかった時代、関西から東京に試合に来る選手達はさぞ大変だっただろう。相次ぐ関西レスリングの指導者の訃報を聞くにつけ、レスリング狂いとまで言われた押立さん、穏やかだった京都弁の岩野さん、関東の強豪達に果敢に挑んだ植木さん等々、関西レスリングを支えた情熱の人達を思い出すのである。

 東京オリンピックで優勝を果たした市口政光「関大」の快挙は、関西のレスリング協会の人々の金メダルとも言えるだろう。東京オリンピック以後全く関東に歯が立たなかった関西の大学レスリングが、ここ数年少しずつ力を盛り返してきた。少年レスリング、高校レスリングの関西の活況をみるにつけ、いずれ関東と対等に戦える大学チームが育つことを熱望するのである。
 
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