ジャケットレスリング

 八田一朗会長は全てに斬新な考えを持っていた。
 「学校教育では溺れない訓練の為に服を着せて水泳をさせるべきだ」「野球は打者が打った後一塁でも三塁でもどちらでも行けるようにしたらもっと面白くなる」「剣道の防具は折りたたみ式て洗えるものを考えるべきだ」とか、常に突拍子もない考えを一杯飲むと周りのものに話していた。
 その中に現在にぴたりと当てはまる格闘議論があった。レスリングは裸でやる競技だが、実戦に役立てるのであれば、衣類を着てやるべきだろう。衣類を着た格闘技としては柔道があるが、柔道は投げることばかりに重点を置き、相手に平気で背中を見せる。相手に簡単に背中を見せればナイフで刺されたり、首を絞められたりして、戦いには向かない。衣類を着てレスリングのように対面して戦ってこそ本来の肉弾戦である。FILAはフリー、グレコにジャケットレスリングを加えオリンピックは3スタイルとすべきである。中央アジアには古来より柔道着のような刺し子のジャケットを着て野外で戦う競技があり、勝者は英雄として崇められる。モンゴル相撲ともよく似ている。柔道もオリンピックに定着したいのなら、この辺のことを考えて行かないと駄目だろうと言っていた。
 柔道は東京オリンピックで初めて正式種目となったが、メキシコオリンピックでは除外されていた。八田会長はソ連のサンボ選手をレスリングの選手と共に日本に招いて柔道の選手と試合をさせ、ソ連との格闘技友好関係を築き、ミュンヘンオリンピックの柔道復活に貢献した。
 松前国際柔道連盟会長と八田レスリング協会会長は格闘競技に対する考え方も近く、日本にサンボ連盟を設立し、共に前後して会長に就任した。現在の柔道の国際ルールについては、本来の日本の柔道からかけ離れたものになってしまったという意見を多く聞くが、オリンピック種目になったということはそういう事なのである。FILAが八田会長の意見を入れて、ジャケットレスリングをミューヘンオリンピックの正式種目とする運動をしていたら、もしかしたら柔道はレスリングの一スタイルになっていたのかもしれない。

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