日本唯一の円形レスリング競技場

 第三回福岡国体が開催された折り、福岡県レスリング協会会長山本千春氏は、郷里大牟田でレスリング競技が開催されるにあたり、レスリング専用競技場を作ることを考えた。今でも到底出来ない事を、戦後間もない時代に県や市を動かして、大牟田市の延命公園の丘をすり鉢状に切り開き、永久的なレスリング専用競技場を建設したのである。
 山本千春氏は早大卒、日本レスリン協会の創立に八田一朗会長と共に貢献した方で、ベルリンオリンピック監督、国際審判員も歴任、レスリングには終生情熱を持っていた。毎日新聞記者を経て、郷里福岡でレスリング協会会長に就任し辣腕を振るった。
 当時、大牟田市には復員してきた立大OBの野田実氏が三池染料(株)に勤めており、八田一朗レスリング協会長と共にロスアンゼルス、オリンピックの代表選手であった加瀬清氏も大牟田の三井鉱山に勤めていた。大牟田市においてはレスリング競技が戦後いち早く、市民や子供達にも知られる競技になっていた。
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