西脇義隆米国遠征記1
 
 昭和34年(1959年)私は、八田一朗団長、笹原正三コーチの米国遠征学生選抜チームの一員として渡米した。羽田国際空港から日本航空のDC7プロペラ機で胸躍らせて出発した。機はウエーキ島で給油し、ハワイ・オアフ島に着陸した。当時のハワイは米国の準州でその年の八月にアラスカ州と共に五十番目のアメリカ合衆国となった。
 米国本土に到着後は大陸横断バスのグレンハンドに乗り、町から町えと試合をしながら、ホームステイや学校の寮などをに泊まりにがらほとんど毎日試合をした。
 私は最終の目的である全米選手権でフリー・フェザー級で優勝し、グレコローマンでも2位になった。関東に後れをとっていた関西の学生「関西大学4年」としては最高成績を残したと自負している。

 この欄では是非、米国遠征で八田一朗会長に教えを頂いた多くの教訓と体験を現代の若いレスラーのみなさんにもお伝えしたいと思っている。
 外国遠征に際し八田会長が選手一同に訓辞、指導したのは、外国何処に行っても、誰に合っても、恥ずかしくないマナーを身につけること。テーブルマナーは欧米は日本と大きく違う。食べるときは音を立てない、から始まって、ナイフをなめない、姿勢を正せ、などなど、徹底的に教育された。身だしなみについては、ひげを剃ること、ネクタイを締めること、ワイシャツを洗うこと、靴を磨くことなど、毎日チェックを受け、一つでも出来ていないと厳しく叱責された。
 ホテルに泊まるときは、何より先に非難階段の確認をさせられた。遠征中は小さな事までがずいぶんうるさく言われたが、君たちが何処に行っても恥をかかないようにと言っているのだ。大統領とも堂々と食事が出来るようになれと言っているのだ、という八田会長の訓辞には、今も尚有り難く思っている。
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