西脇義隆氏の昭和34年米国遠征記

 関西大学OBの西脇義隆氏より昭和34年の米国遠征の記録が送られてきた。
 戦後の米国遠征は昭和26年(1951年)に八田一朗監督、風間栄一主将、帽田次郎、石井庄八、長里高平、神田幸二の選手団が山下汽船で旅発ったのが始めである。

 西脇氏が渡米したのは、その8年後であり、八田一朗団長、メルボルン金メダルの笹原正三氏が監督となった。選手は学生を中心に選抜され、選手の中には後に米国で億万長者になったベニハナのロッキー青木もいた。
 西脇氏は当時関西大学4年生だった。当時の関西は関東に実力で後れをとっていたが、西脇氏は見事に全米選手権フェザー級でフリースタイル優勝、さらにグレコローマンでも2位となり、参加日本選手で最高の輝かしい戦績を残した。

 1959年の米国遠征の珍しい話と記録を丁寧に書き記し送くってくださったので、何回かに分けて、「レスリング回想録」に西脇米国遠征記として掲載していきたい。

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