萌芽期の女子レスリング |
日本で初めて(シニアの)女子レスリング選手になったのは、城西高校教員の大島和子さんである。1985年フランスのクレルモンフェランで行われた国際女子レスリング大会に、柔道三段の大島さんが初参加したが、2敗するのに1分もかからなかった。 その大会には福田団長以下、宮沢正幸広報委員長、細谷、福島国際交流委員がわずか1人の大島選手に付き添い、日本の女子レスリングに対する並々ならぬ姿勢を示した。しかし、柔道ではかなりの選手であった大島さんも、レスリングではなすすべもなく負けたしまった。 これが日本女子レスリングの始まりであったが、このとき既にフランスでは女子レスリングが10年の歴史を持っていた。 1986年にベルギーのメチェレン市で開催された女子レスリング国際フェスティバルに西依監督、木名瀬コーチ、ジャガー横田コーチ、選手11名を派遣した。この中には3名の女子プロレスラーがいた。この大会は女子として最初で最後だったと思うが、グレコローマンスタイルがあった。 1987年、第1回女子レスリング世界選手権がノルウェー・オスロ市で開催された。第2回大会はスイス・マルティニー市、第3回はスウェーデン・ルノア市であった。 実はFILAは当初、第1回のオスロ大会を世界選手権と認めなかった。それは1カ国から2選手出場している国があったからである。その為、吉村祥子、浦野弥生ら四人の優勝者を出し、日本が大勝した第3回ルレア大会を第2回と記述している記録もある。 その後、FILAは1993年に、オスロ大会を第1回女子レスリング世界選手権と正式に認めたので、ルノア大会が第3回大会となった。 今や女子レスリング世界選手権はFILAのメイン競技となり、男子グレコローマン、フリースタイル、女子の3種目同時開催がFILAの決まりとなっている。 |