卑怯無惨な犯罪に思う
 
 子供に対する残酷な犯罪、あまりの惨さにテレビからも目を背けたくなる。何度も繰り返される悲劇、ご家族の悲しみはいかばかりか、どの様にしたらご家族の悲しみを僅かでも癒せるのか、信仰心のない私でも神様に心から祈る気持ちだ。
 子供を守れなかった大人の責任、無念さ悲しさを一人の父兄がテレビで話していた。本当にそうだ、大人達は何をしていたのだろう。大人達の異常者に対する防犯体制が根本的に間違っていたのではないか。
 事件の後、ある学校で子供達を集めて先生が万が一の時の対応を指導していた。黒板に「自分の身は自分で守る」と書いてあった。「間違っている」見た瞬間に私は思った。どうして子供が大人の暴力に対抗できるのか。大人の女性でも成年男子の暴力に対抗するのは無理だ。下手に反抗すれば被害を大きくするばかりだ。
 にわか護身術の指導より、犯罪を起こしにくい環境を作ることが先決ではないだろうか。人通りの無い道にはビデオ撮影機を設置し、大きな看板に「何時でもビデオが監視している」と書いておけば犯罪者は躊躇するだろう。防犯の費用としては僅かな金だ。全国の山間僻地、暗い夜道には監視ビデオを設置するべきだ。その他にも沢山対応策があるだろう。電鉄会社は車内で携帯電話の注意などする前に、「女性に迷惑を掛けることは犯罪です。車内の皆様防犯にご協力下さい」ぐらい言ったらどうだろうか。痴漢は気の小さい男達だ。犯罪はかなり減るのではないだろうか。
 今までの弱い者に対する犯罪の対応が根本的に間違っていたのではないか。全ての国民が善人で、子供を可愛がってくれる事を前提に作られている街や施設を見直し、犯罪者は何処にでもいる、という心構えを前提に、犯罪を起こしにくい街の構築、警察、学校と市民の防犯への協力を柱に、弱い人達の無惨な悲しい犯罪を防ぐために全力で取り組む事が大人達の責務である。
 この文を書き終えたら京都の塾殺人のニュースが飛び込んできた。授業の最中に講師が生徒を殺害するという前代未聞の事件だ。子供を指導するような人格ではない学生を先生として採用している塾の責任は極めて重い。金儲け優先といわれても致し方ないだろう。
 
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