ハンガリーの森

 レスリング世界選手権に参加し、ハンガリー・ブタペストに12日間滞在した。45年前に選手として訪問した時のブタペストの風景が、ドナウ川沿いに残っている。街中にある温泉も森も記憶にあった。東京オリンピックの前年、八田会長の号令でバルカン諸国の遠征試合が企画され、第一回遠征に私、第二回目の遠征に福田現協会会長が選ばれた。ハンガリーは当時共産主義国家であったが、西欧の息吹が感じられる、食べ物の美味しい親日的な国であったと記憶している。
 今回訪れてもその印象は同じであり、私はレスリングの熱戦の合間にブタペスト観光を楽しんだ。朝は五時に起き、市民公園の深い森を一時間程歩いてセーチェニ温泉に行く。温泉は六時から開いており、多くの市民が朝早くから温泉浴を楽しんでいる。セーチェニ温泉はお城のような建物で、室内外に幾つも温泉があり、野外の温泉は50メートルプールほど大きい。温泉の温度は38度〜40度ぐらいで少しぬるめで、人々はゆっくりと長湯を楽しんでいる。一時間ほど温泉に入った後、人影のない深い森を火照った身体でふらふらと歩き、ホテルに帰る心地は何とも贅沢だ。
 森の小径で落ちていた栗を拾っていたら、通りかかった婦人に語りかけられた。全く言葉が分からないので、栗を見ながら話した婦人との会話を私なりに理解し、脚色して書いてみる。
 栗の色は美しいですね。私は画家ですがこの栗の色はなかなか出せません。この艶やかな深い色は作ったものではなく自然のものなのですね。貴方は日本人ですか(私はJAPANと書いてあるジャージーを着ていた)。私は若い頃パリで絵の勉強をしましたが、その時日本の絵を沢山見ました。日本の水彩画は簡素で素朴で、大変美しく、当時私は大変影響を受けました。特に、あやめ、水仙、百合、菊、の花、海の波、雪を頂いた富士山、本当に印象的でした。機会があったら是非日本に行き、美しい富士山と海を書いてみたいと願っております。ご存じのようにハンガリーは海がありません。次から次に押し寄せる波を是非見てみたいものです。
 婦人はこんなことを言っていたようだ。「私は、もし日本にお越しの時は何かお役に立てると思います。」と言って私の住所を書いて渡した。もし婦人が訪日したらこれほどの幸運はない。

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