八百長考

 ヨーロッパのサッカー試合での八百長がマスコミを賑わせている。勝負において最も八百長をしやすいのは一対一の勝負である。一対一の勝負の場合、一方が一生懸命戦わなければ相手に勝利を譲ることとなる。しかし、これは一般に言われる八百長とは違う。命を賭けて刀で斬り合った時代にも、どうしても相手を殺すことが出来ず自らの命を投げ出した例は、日本に限らず世界中に沢山ある。拳銃で撃ち合った米国西部の時代にも、引き金を引かずに相手に撃たれた勇者はいた。オリンピックのテニスで日本の熊谷選手は相手が倒れたのを見て、相手が打ち返しやすい球を打った。ロスアンゼルスオリンピックの柔道でエジプトのラシワン選手は山下選手の痛めた足を攻めなかった。
 これらの事例は八百長ではなく、勝負する相手を尊敬し労る勇者の心なのである。八百長が公然と認められているプロレスでも、米国で何度も殺し合いの様な試合をした、と親友マサ斎藤は言っていた。相手の地元では相手を労り、相手を立てる心から勝ちを譲る試合をしたとも言った。大正10年に2万の観衆を集めて靖国神社で行われた、あの有名なサンテルと庄司彦雄の激闘も、試合後の庄司彦雄のコメントから推察して、後半ヘトヘトの庄司をサンテルは激しく攻めず、むしろ花を持たせるように投げられて、引き分けに終わったようだ。嘉納治五郎が他流試合に反対し、もし試合をすれば破門をすると言い渡したにもかかわらず、破門覚悟で試合に応じた児玉門下生や庄司彦雄らに、サンテルが敬意を表したと言えるのではないか。
 碁でも将棋でも負けと分かっていても、打たなければならない手があると聞いた。日本の国技相撲においても、長い歴史の中で色々の勝負があったと思う。私はこれらの闘う者の心根は、武士道、騎士道、に通じるものであると考えている。

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