荒れる成人式
 
 今年も各地で成人式が荒れた。ここ十数年、常に成人式の話題は傍若無人に荒れ狂う新成人の姿だ。成人式は市町村の主催で数十年間行われてきたが、行政の行う成人式は全く知恵が無く旧態依然としたもので、市、区、長の挨拶と来賓の祝辞に終始する事が多い。成人式が荒れだしてからは行政も色々考えては来たのだろうが、さした変化も見られず行事としての成人式そのものが問われている。荒れる成人式について私なりに考えてみた。
 私は中学時代は手の付けられないワルで、相当同級生から嫌われるようなこともしていたらしい。らしいというのは私は酷いことをした自覚は無いからだ。勉強も三年生の終わりには下から数えた方が早かった。こんな経歴の私の視点から荒れる成人式を検証してみた。
 二十歳になった人達の職業は、大学生、専門学校生、主婦、サラリーマン、職人、フリーター、無職と様々だろう。区、市、行政の主催の成人式にはその地域の中学出身者が集まることになる。皆精一杯に着飾って何年ぶりかの懐かしい同窓生と、やー、アラー、と言って集うのである。この年代は男女とも異性を意識して、めいっぱい着飾り虚勢を張りたいと思うのは自然の行動だ。一流大学に入った人は精一杯大学生ぶるし、社会人になった女性は最先端のファッションとブランドアクセサリーで精一杯大人ぶる。そしてそれぞれのグループは中学時代の勉強の出来た順に、サークル活動をした良い子の順に、人の輪が出来て行き中学時代の序列を引きずってゆくのだ。中学時代勉強が出来ず、不良で、貧乏だったり、親がいなかったりしたはぐれ者達はそれなりに集まり、それなりに見栄を張ら無くてはならないだろう。粋がって酒を飲み暴れ廻るのも目立ちたいただその為だ。先日の暴れた成人のテレビでのコメントで、「俺達にもプライドがある」と言っていた言葉の裏を大人達は読みとらなければならない。学歴というやつは生涯付いて廻る差別なのかも知れない。私のように勉強もせず大学だけは出た者でも取り敢えずは大学出である。世の中の不平等感は我々が感じない所にも存在しているのかも知れないし、私が電車通学するエリート小学生が大嫌いなのもそんな気持ちに通ずるのかも知れない。

 最後に成人式への私の提案。
 行政は今まで通り成人式を行ったら良い。式の内容は役所の若者の意見なども取り入れて時代に即した楽しい成人を祝う会にすればよい。但し、その対象を地域の出身者だけを対象にするのではなく、地域外の人でも、外国人でも、その式に参加してくる人には誰にでも門戸を広げたらどうだろうか、中野区の成人が港区の成人式に出てもよし、たとえ三十歳の婦人が振り袖で参加してきたらそれはそれで良いではないか。
 
戻る