老人の問題と扶養家族を考える

 日本社会は次第に働き手の若者が減少して行き、老人社会になってゆくことは間違いない。現在は三人以上で一人の老人を見る計算だが、いずれ二人以下のになってしまうそうだ。数字だけを見れば大変な世の中になってしまうようだが、しかし待てよともう一度良く考えてみると、どうも役所や政治家ばかりが大騒ぎしていて、実態はよく分からないのではないだろうか、どうも厚生省の意向が裏に隠されている様に思えてならない。役人は来るべき大変な事態に対処するために実態をよく掌握もせず、取り敢えず金を集める手段だけは確立しておこうと思っているのではないだろうか。いつも馬鹿を見るのは真面目に働いている庶民なのだ。パートタイマーの主婦達と合理化に次ぐ合理化でやっと中国と競える体制を作りつつある企業から厚生年金を徴収しようというのだ。何時の時代も役人は失政を絶対に認めず、弱いものにその責任を負わせ知らぬ顔でぬくぬくと地位に安住しているのである。
 よく考えてみよう。戦後の貧しい時代でも一家の主人は四人、五人、の家族を扶養していたのは普通であった。現代はと言えば子供は減り、妻が働いている家庭も沢山或る、その妻も介護保険や厚生年金を払っているのだ。働いている人が扶養している人の数は以前より間違いなく減っている。全体を見て次の施策を打つつべきであるのに役人は、安易に金を集めて、出来るだけ現状の制度をいじらず楽をしようとしているとさえ思える。金利が高かった時代は使いもしない保養施設を次々に作り、天下り先を作り、金利が安くなれば泡食って集めやすいところから金を集めればよいと思っているのだ。今の役所の仕組みではやる気のある立派な役人がいても何も変えられないのが現実だ。、駄目な役人は降格する、失敗には責任を取らす、この様なシステムを確立する為には、国民が常に役所を監視出来る仕組みの行政改革をするしかないだろう。

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