痛ましい子供の事故に思う
 
 交通事故の中でも列車の事故の痛ましさは、ニュースで聞いただけでもしばらく心に残ってしまいます。先日、JR京葉線潮見駅で起きた小学1年生の女の子の事故の痛ましさは、2週間たった現在も私の心に残り続けております。
 私のマンションは潮見駅に隣接しており、戸を開けると事故現場が見えます。毎日通勤の行き帰りに事故現場にたむけられた、花束、お菓子、ジュースが目に飛び込んできます。私には同じ歳頃の孫が居ます。私には身につまされる条件ばかりです。事故のあった午後4時頃はホームには誰もいない時間帯で、どうして女の子が線路に落ちたのか分かっていません。駅員も僅かで通常はホームには居ないのも今の時代仕方がない事なのでしょうか。監視ビデオにも映っていなかったようだし、今も「どなたが事故を見かけませんですか」と言う立て看板が空しく立てかけてあります。インターネットの掲示板には、「落としたものを取りに降りた」という目撃談ふうの書き込みがあったということですが、ホームに立って線路をのぞき込んでみるとかなり高いのです。大人の私でも線路に降りることなど出来ません。まして七歳の子が自分から降りたとはとうてい考えられません。事故の原因も分からず、責任の所在もはっきりしない、ご両親の心痛はいかばかりでしょう、何処へにも怒りを持って行けず、ただ自分を責めるだけになってしまうのでしょうか、本当に気の毒です。
 だた、私が残念に思う事があります。私の部屋から事故現場が見下ろせますが、高いところから見ると周りの状況がよく分かります。ホームに落ちた女の子は、後、10メートル程東京駅方向に歩けば、子供でもホームに登れる階段があったのです。たとえホームに登れなくとも電車にはねられる心配もなく、人が来るまで安全に待機できる場所があったのです。こんな事を言えば、更にご両親にむち打つことになりますが、ご両親は電車通学に際し毎日付き添って電車の乗り降りを教えたそうですが、その時、万が一、ホームに落ちた場合の対処の仕方も教えていたらと思ったりしてしまいます。これはご両親に言うのではなく、多くの電車通学をしている子供達の親たちに、受け入れる学校に言いたいのですが、遠くに離れた優秀な小学校に子供を電車で通わせるということは、この様な悲惨な事故のリスクもあるということです。米国では1年間に100万人もの子供が行方不明になっているといわれます。日本も次第にそのような社会になってゆくかも知れません。複雑に入り組んで、凶悪化する社会の中で、何の責任もない子供達に、事故や誘拐から守る安全な場を与え、健康にはつらつと毎日を送らせてあげることが、勉強を教える事以上に大切な事であると思うのです。
 
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