大阪教育大学池田小学校事件に思う

 宅間被告に死刑の判決が下った。当然であるが私の気持ちに何か割り切れないものがある。8人も子供が死んだのだ、一人ぐらい先生が身を挺して死んでも良いだろう。こんな事を思うのは私だけだろうか。子供達の無念さ、ご家族の思い、気の毒で想像も出来ないが、ただ宅間を死刑にしただけで良いのだろうかとも思う。遺族にしてみれば八つ裂きにしても飽き足らないだろうし、報復に何をしても癒されないだろう。遺族が僅かでも心が安らぐのは犯人が心の底から遺族に詫びる心境になり、犯人の人生を全て投げだし、死ぬまで償いの生活を送ることでは無いだろうか。それにしても宅間は何故あのような凶悪な犯行をしたのだろうか。この辺の解明は今後とも追求してもらいたいものだ。
 ところで、宅間が反感を持っていたと思われる、エリート小学生については何も論じられていないが、私もエリート小学生にはあまり良い感情を持っていない。私の勤め先は千代田区の四谷駅付近だが、この地域には学習院を始め雙葉など超一流のエリート小学生が母親に連れられて闊歩している。周りの迷惑など考えず、たむろしてしゃべりまくっている母親達、我が物顔に走り回っている小学生、五月蠅いガキだとみんな思っているはずである。貧乏で小中学校を過ごした私の僻みかも知れないが、少なくとも国立大学が付属の小学校を持つ意味が分からない。文京区で起きた母親の幼児殺しも、国立大学付属小学校に入れたい母親のゆがんだ感情の結果だった。行政改革、教育改革、が言われている今、文部科学省は、何故、公立の大学が付属の小学校を持つのかを、分かりやすく国民に説明すべきである。
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