戦争についての記憶
 
 私は昭和14年生まれなので、太平洋戦争を記憶している最後の年代だろう。終戦の時は6歳だったが、敗戦間際まで東京にいたので東京大空襲も覚えている。撃ちおとされた日本の飛行機の翼が右に揺れ左に揺れながら落下してきたことを覚えているし、脱出した兵士の落下傘が開かずに墜落した時は傍にいた全員で手を合わせた。戦争が残酷なことは当たり前のことだが、私の記憶の中では戦争自体はたいして怖かったような記憶はない。子供ながら敵と戦うことは当たり前で、その為に命を落とすことはしょうがないことだと思っていたようだ。むしろ戦後食い物がなかった事の方が生々しい記憶として残っている。
 私は終戦の翌年小学校に入学したのだが、東京はひどかった、東京中焼け野原になり、家族ちりぢり親を亡くした浮浪児が上野駅周辺にたむろし、スリかっぱらいはもとより、大人顔負けの犯罪集団になっている子供達もいた。そんな時食べ物もなかった人達に残飯を廻してくれたマッカーサーを有りがたい人達と思っていた。マッカーサーが、身を挺して国民を救おうとした天皇に敬意を表したという話は当時から聞かれた。あの時から日本人は巧みに骨を抜かれ、日米の友好な関係が生まれたと言って良いのだろう。私の覚えている進駐軍は親切な格好いい人達だった。
 その時のことをイラクに置き換えて考えてみると、宗教的な問題はあるにしても、今はともかく次第に米国を始めとする国連軍に同調して、国家建設にスムーズに移行してゆくのではないかと私は思っている。なんと言っても世界一とも二とも言われる石油の埋蔵量は、国家再建の大きな力だ。世界文明の発祥の地であるイラクの再建に日本が力を貸すのは当然であり、イラクにスポーツの交流が出来るような日々が一日も早く来ることを願うばかりだ。

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