老人としての生き方に思う

 最近出版される本は老人向けのものが多い、今日の新聞広告を見ても、何時死ぬか分からないから 九十一歳。かたり残し、思い残し。立川談志の遺言全集。もうゆっくり暮らそう 大橋巨泉。等々、もうすぐ死そうな人を相手に本を売っているようでさえある。まさに老人社会の日本といえよう。
私もここ五年で妻を始め四人の肉親を亡くした。特に妻の死と母の死には参った。妻は自宅で亡くなったので最後まで付き添った。死について真剣に考えた。死後の世界、生まれ変わり、など色々思いめぐらした。しかし結論は死ねば灰になるだけ、だった。新春早々十五歳からの友人が癌で死んだ。死ぬ十日ほど前、自宅から「今泉苦しいんだよ」と電話があり、漢方の名医を連れて見舞いに行った五日後に亡くなった。針とお灸で、「楽になった」「楽になった」と言って死んでいったそう
だ。良かったのか悪かったのか複雑な心境だ。
 人は必ず死ぬ。これだけは間違いない事実だ。早いか遅いかの問題だ。しかし誰もが自分はまだまだ死なないと思っている。私は六十三歳平均的に生きても後二十年は生きない。しかも元気に仕事が出来るのは長くても十年だろう。私は仕事が出来なくなったら人生は終末と思っている。後十年、欲を廃して、心ゆくまで仕事をしたいと思っている。
 歳を取るということは考えようによっては有りがたい事だ。年長と言うだけで人は敬ってくれる。年長と言うだけで話を聞いてくれる。この利点を大いに生かして、社長歴三十年のキャリヤと。まだ衰えない知恵で、もう一仕事するつもりだ。金も、権力も、要らない心境になった。仕事をするには人生で最良の境遇になった。
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