王者三宅義信という男

 重量挙げの三宅義信は戦後の日本を代表するスポーツ選手です。私とは同い年で現在も仲良く付き合っております。我々の年代で三宅義信を知らない人はいないでしょう。四回のオリンピックに出場し、東京、メキシコが金メダル、ローマは銀、ミューヘンは33歳でなお4位入賞と、まさにミスターオリンピックと言えるでしょう。選手引退後、三宅は自衛官として国家に尽くし、陸将補となり、自衛隊体育学校校長まで昇り詰めました。まさにスポーツマンの鏡です。
 しかし、将軍三宅義信はいつもニコニコ、ものにこだわらない好人物です。選手引退後も常に体調に気を使い節制して、今も体重を現役時代と同じに維持しています。私と食事するといつも、大食いの私に「今ちゃん食べ過ぎは駄目だよ。美味しいものは毒だと思いなさい。」「無理して重いものは持っては駄目だよ。」と重量挙げ選手だった人とも思えないアドバイスです。150キロを持ち上げた男が引退後は、60キロ以上は持たないことにしたそうです。
 かつての世界の重量挙げの名選手は、ドーピングが厳しくなかった事もあり、大半が何らかの薬を常用していたと言われています。その影響でか皆早死にで、60歳を過ぎて生存している人はほとんどなく、日本のように大半の名選手が元気でいる例は珍しいそうです。薬など一切使わなかった三宅が、15年間も世界の王座に君臨し続けたということは、驚嘆すべき事で、単に天才とか練習の虫という事ではなく、生活の全てを重量上げに打ち込む事の出来る集中力と、僧侶のごとく節制をした結果といえるでしょう。
 宮城県の貧しい散村で育った三宅義信は、情にもろく家族想いで、人に優しく、素晴らしい男です。奥さんの母親を引き取り大切にし、病気になった晩年には、毎日背負って病院に通った事を私は知っております。三宅から聞いた話ですが、背負われた背中で婆ちゃんは、「信ちゃん、子供が沢山居るのにあんたに世話になって悪いね。本当に感謝しているよ。」と言って三宅の首筋に涙を流したそうです。「背中で婆ちゃんに、鼻だか、涎だか、垂らされたよ。」と三宅は照ながらおどけて話しておりました。

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