格差の拡大

 小泉内閣の改革の結果、国民所得の格差が広がっていると言われている。格差というものはどんな社会にも存在するが、それを出来るだけ埋めるようにするのが政治であると言われている。勿論、異論はない。しかし、何を以て格差というのか私は疑問に思っている。所得だけで格差というのなら私は同調できない。野党は生活困窮者の例をひいて、こんなに困っている人々がいると国会でも政府を追及している。大使館に室内プールがある、こんな贅沢をする金で何人の子供達が学校に行けるだろうと総理大臣を責め立てている。私はこの馬鹿馬鹿しい主張に全く驚いてしまう。50年前の左翼の言い分とちっとも違わない。こんな主張を次に政権を奪取しようという政党が国会質問で居丈高に言うのだから呆れてしまう。所得が低いことは不幸でもなければ恥でもない、長い人生のうちには貧しいときもあれば裕福なときもあるのだ。貧乏だから不幸だという政治家は消えていってもらいたい。
 私の住まいの廻りには沢山のつつじが群生している。同じ日差しを受けてもどんどん伸びてゆく枝もあれば伸びない枝もあり、葉が見えないほど花が咲き誇っている枝もあれば全く花が咲かない枝もある。しかし、先に咲いた花が散った頃、遅ればせながら花を咲かす枝もある。生き物の成長は様々だ。人生でお金を沢山得ることばかりが幸せではない。人生は長い。早く成功した人がいつまでも成功を続けられるとは限らない。政治家はもっと大きな視野で国民が夢を持って生きて行けるように国をリードして貰いたい。
 
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