電車の中で |
電車の中というのは、知らない人同士が、一定の時間、狭い箱の中にかなりの密度を持って、意味もなく閉じこめられる非常に特殊な空間だ。そのせいか、何かとマナーことが指摘される。去年は些細なことから殺人事件まで起きた。被害者は本当に気の毒だ。加害者も一生を台無しにして、後で反省しても遅いのに、小心なやつに限ってこんなに事件を起こすのだ。痴漢などと言う不届きなやつが出没するのもこの電車の中だ。ところで、私もこの欄で何度か書いたが電車の中のマナーというのは、結構微妙なところがある。 例えば、果たしてこの人には席を譲って良いのか、という問題がある。つまり、年齢の問題だ。明らかに譲った方が良さそうな年齢だったら躊躇はないのだろうが、私のくらいの年齢だと本当に微妙だ。私自身が譲られてもおかしくはない年齢なのだから、譲ることもないかも知れないが、年寄りには席を譲るという気持ちの方が強いのだ。 一方で、いかにも「譲りなさい、私の権利よ」という感じで立っているおばさんが結構いるものだが、こういう人にはどうも譲りたくない。若い人だって、仕事や部活なんかで本当に疲れている人は沢山いる。妊婦だっている。むしろ、年寄りの方がピンピンしているかも知れない。年寄りの妙な権利意識になってしまうのも、どうかなあ、と思ってしまう。小さな子供が座りたがっているときも、立っていた方が身体のためだよ、と親に言ってやりたくなる。 本来こういうことは、基本的にマナーであって、ルールではない。マナーというのは「心遣い」だ。それに対してルールというのは、ある秩序を保つために、とにかく守らなければならない強制力のことだ。だから、マナーなら状況に応じて対応が変わるが、ルールというのは絶対だ。ところが、電車の中というのは、このマナーとルールがどっちつかずであり、なおかつ権利意識も絡んでくる本当に微妙な空間だ。だから、あまり善人ぶって何でもかんでも悪い悪いと言うのではなく、よくよくそのあり方を見てみないと本当のところは分からない。最近、電車に乗る機会が多くなって、そのことを強く感じている。 私の子供の頃よく言われた「世間様が許さない」「世間様に顔向けが出来ない」といった、昔からあるマナーがの遵守が一番良いように思えるのだが。 |
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