神田幸二氏逝く

十二月二十二日神田幸二さんが亡くなった、誠に残念である。私は高校時代「昭和三十年」から東京都レスリング協会でお世話になり、その後も折に触れご指導いただいた。ここ二十年間は脳溢血の後遺症で車椅子の生活でしたが、毎晩晩酌は切らさなかったそうである。オリンピックの壮行会にも沼尻直協会副会長の葬儀にも奥様の介護で車椅子で駆けつけてくれた。神田さんは拓大の学生時代応召し海軍中尉だったと思う。復員して一時紅陵大学と校名を変えた、拓殖大学で再びレスリングを始め、昭和二十六年戦後初の米国遠征に参加している。氏は実に穏やかで面倒見が良く、八田会長の選挙でも杉並グループを纏め上げ大いに力を発揮した、少年レスリングクラブを作ったのも東京では一番早かった。氏の面倒見の良さは拓大だけに限らず、他の大学生達も世話になった。福田会長も私もずいぶん荻窪で飲み食いせて頂いたものである。心優しい豪傑、神田幸二さんの霊に戦後第一回米国遠征の新聞記事を掲載して冥福をお祈りさせて頂きます。

待望久しい、渡米の夢と栄光を賭けた壮絶な渡米リスリング選手選考会の結果、下記の選手団が結成された。渡米選手団は昭和二十六年二月六日、処女航海の山下丸にて東京港から旅立つ。
団長八田一朗、主将風間栄一「早大OB」、フライ級帽田次郎「早大」、バンタム級石井庄八「中大」、フェザー級永里高平「早大」、ライト級神田幸二「紅大」

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