レスリング協会創世期の人々

庄司彦雄「早大OB」
大正十年靖国神社二万の観衆を集めでプロレスラーサンテルと戦って講道館を破門された柔道家である。卒業後南カルフォルニア大学留学し柔道コーチをつとめ、帰国後早稲田大学に喜多壮一郎教授を部長としてレスリング部を設立した。当時のレスリング部員は八田、山本、宮崎、塩崎、長崎、桜井、小玉、八田弟、等であった。

八田一朗「早大OB」
三代目レスリング協会長、渡米渡欧十数回を重ね日本レスリングの国際的にレベルアップには彼の実行力に追うところ大、ロスアンゼルスオリンピック代表、国際審判員としても活躍し、戦後の日本レスリング協会を揺るぎなきものにした最大の功労者。

山本千春「早大OB」
八田一朗とともに早稲田レスリング部を設立した聡明期のレスリング理論家。先輩庄司の後を受けレフリーとして活躍した。卒業後毎日新聞に入社し普及宣伝に貢献しベルリンオリンピックでは監督を務め後に福岡県レスリング協会長に就任した。

小玉正己「早大OB」
レスリング協会草分けの一人、秋田県レスリング協会を設立し幾多の名選手を育てた。柳田英男、佐藤満、太田章、菅原弥三郎、は秋田の誇るメダリストである。

桜井尚雄「早大OB」
早大主将として初期の日本レスリング界の重鎮、卒業後はコロンビアレコードに入社協会理事として功績があった。

伊集院浩「明大OB」
明大レスリング部を柔道部松田、相撲部水野等とともに設立した。卒業後毎日新聞に入社し協会理事長としても活躍し、戦後第二回米国遠征の監督を務めた。

菊間寅雄「慶大OB」
昭和八年慶応の陸上部からレスリング部に転じ、慶応レスリング部を設立した。昭和十年欧州遠征に参加、戦後協会理事長にも就任しレスリング協会の隆盛に寄与した。

松田滋夫「明大OB」
明大レスリング創設者の一人で初期のレスリング界で活躍したバンダム級の雄。山村、清水、吉岡、水谷、等と明治大学レスリング部の基礎を築いた。

森竹政雄「専大OB」
早稲田から専修大学に転じ谷田部、住吉、畠山、等と専修大学レスリング部を設立し大学リーグ戦の発展に寄与した。

野田実「立大OB」
立大時代は闘志みなぎる選手として名をはせ卒業後は三井鉱山につとめる傍ら、福岡レスリング協会の理事長を務め福岡国体では選手としても出場し福岡県に貢献した。  
 
戻る