スポーツ選手の引退後を考える
 
 スポーツの世界でに一流になるには、持って生まれた才能は大きなものだが、それを上回る要素はたゆまぬ錬磨である。毎日毎日全てを犠牲にして目標に向かう、この努力が出来ることも大きな才能である。こうした努力によって、全てのスポーツの一流選手は誕生してゆくのである。これらの過程は、芸術、芸能などの世界で一流になる人の過程と何ら変わらない。こうして限られた世界で全てを投入して一流になった人々は、時として、世間一般の常識とかけ離れた感性、主張があっても不思議はない。小説家、音楽家、画家、彫刻家、役者らにその行動が、変人、奇人とさえ言われる人もいるが、その優れた能力の前にむしろ、美談、として世間から認知される。それはその人々か一生を通じてその専門分野で生きていくからである。しかしスポーツ選手は違う。毎日毎日、気が狂ったように練習する選手時代も、ひとたびスポーツを離れれば、その生活は模範的な人間像を要求される。そして、これらの一部選手もある面では一芸に秀でているが、時には一般常識に欠ける面もある。これは決しておかしな事ではなく、当然、芸術家等諸氏と同じように見て貰わないと困るのであるが、世間はスポーツ選手に対しては厳しい。さらにスポーツ選手の問題は、その専門家生命がほとんど30歳を境に終わっていくということである。そして、引退後は社会一般の人々と同じ出発点に立って生活して行かなくてはならないという現実があるのである。あいつは選手を辞めて30年になるのに、まだ金メダルを取ったことばかり言っている、という話しをよく聞く。スポーツ選手はまったく辛いよ。東海大学の佐藤教授は、「スポーツ選手が現役を辞めたときは、「人生もう一度出発」という覚悟が必要であり、その為には、選手時代に最低限必要な教養や心構えを身につけておくべきだ」と言っている。スポーツ選手としてもっとも恵まれていると思われる野球選手にしても、現役引退後、野球に携わって生活できる人は一握りである。しかし、一流選手でありながら、引退後教育界、経済界、政界、で大成した人々も多い。是非この大成した人達の努力と考え方を、全国のスポーツ少年や指導者に聞いて貰い参考にする機会を、新たにスポーツジュニア強化対策に取り組む文部科学省は、充分に考えて貰いたいものだ。
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