子供の教育2

 私の身の周りでも小学校から学校に行けなくなった子がいた。両親は悩み悲しみ、何度も転校を繰り返し、高校時代は私が一時あずかったこともあった。頭の良い子で話せば何でも分かるのだが、朝になるとどうしても学校に行けなくなる。当時はこの様な子に、世間の理解が今のようになかったので、意気地がない、わがままだ、親が甘やかせて育てたからだ、と片づけられていた。私もその子を私の母校に入れ、叱咤激励し時には怒鳴って学校に行くように説得した。そんな時、八田会長がアドバイスをくれた。「それは病気だよ、君は風邪をひいた子を裸にして外に出しているのだよ、暖かくして寝かしておけば風邪は治るよ」と言ってくれた。その後、彼は苦労を重ねながらも大学を卒業した。しかし、本質的なものは直らず、いまなお四十歳を過ぎているのに、一人で暮らしで定職にも就いていない。この男の人生は何なのか、恵まれた環境に育ちながら何でこんな事になってしまったのか、生まれながら持っていた性格と、幼児期の教育による所が大きかったのだろう。教育とは本当に難しいものだ。子供の教育はいったんこじれれば、手を掛ければ掛けるほどおかしな方向に行ってしまうような気もする。
 登校拒否やイジメなどの状況について、教育の専門家に聞いてみたので少し述べてみたい。今でいう不登校・登校拒否というのは元々アメリカで「学校恐怖症」という名称で呼ばれていたという。これが日本でも認識され、昭和30年代後半から徐々に増えてきた。そんな中で、裕福だし能力もあるし、これといった理由も見当たらないのに、学校に行けないという子供が出てきた。高学歴を望む意識が高まってきた時期で、受験競争も激化していった時代だった。親は「学校に行かなくてはいけない」と言うが、必ずしもそう思わなくなった子供達が出てきた。日本の場合は、社会の変化に対応した教育というのがなかなか作れない現状があるが、アメリカなどは例えばチャータースクールといって、地域の人達が自分たちで子供たちにあった学校を計画をして行政に認可を受け、実際に運営してしまう学校が数多くあるという。また、家で親らが教育の全ての面倒を見るホームスクーリングというシステムもかなり一般化しているという。いずれも日本では考えられないシステムだ。いじめというのも大問題として議論され続けているが、イギリスなどでは、いじめた子どもが転向されられるということもあるという。日本では大半は逆で、いじめられた子が転々とすることが多い。
 日本では、今ある状況が当たり前と考えて、その中でどうするか手をこまねいていることが非常に多い。子供が学校に行けなくなったら、行かなくとも良いと思う親もいるが、その場合親の責任は重大である事も事実だ。登校拒否や引き籠りは精神的な病である場合も多くあるが、しかしその原因は多岐にわたり、幼児期の家庭教育が大きく影響することは間違いのない事実だ、と教育学者は言っていた。
 
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