戦後初の米国遠征

 昭和二十六年二月処女航海の山下丸に乗船した第一回日本レスリング米国遠征チームは、溢れんばかりの闘志を胸に東京港から旅発った。戦後初めてのレスリング米国遠征はサンフランシスコ講和条約発行五ヶ月前の事であった。栄光の選抜メンバーは監督八田一朗、主将ウエルター級風間栄一(早大OB)、フライ級帽田次郎(早大)、バンダム級石井庄八(中大)、フェザー級永里高平(早大)、ライト級神田幸二(紅大現拓大)であった八田一朗、風間栄一、神田幸二の三氏は第二次世界大戦に出兵し、幸運にも復員した元軍人であり、石井庄八氏は紅い血潮の予科練帰りであった。それぞれは終戦後大学に復学し、柔道がGHQによって禁止されていたので、レスリングを始めた猛者であった。第二次世界大戦で戦って無惨に敗れた者達の、米国にレスリングで遠征する選手達の心境は如何ばかりであったか想像だにできない。
 この時期に米国遠征を企画した八田一朗氏の感性も人並みはずれていたが、、またそれを快く受けてくれたAAU名誉主事ダン・フェリス氏の度量も素晴らしいスポーツマンシップであった。遠征チームは米国本土で大歓迎を受け、海兵隊チーム、大学チームと連戦を重ね米大陸を横断し、チームとして十五戦五敗二引き分けの好成績を残した。個人では後のヘルシンキのゴールドメダリスト石井庄八がアイオワ大で一敗した他は全勝した。この歴史的遠征を契機に戦後の日本レスリングの躍進が始まったのである。
 現在、永里高平氏、神田幸二氏以外は鬼籍には入ってしまったが、八十を過ぎて永里高平氏はハワイマラソンを完走し、神田幸二氏は車椅子生活二十年ながら三合の晩酌を欠かさないと言う。

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