八田会長の話から「太田節三 あとがき」
 
 八田会長は昭和7年にロスアンゼルスオリンピックに日本代表選手として参加した時、ロス在住の太田節三と会って、米国のレスリング事情を聞いている。
 昭和26年に太田節三は帰国した。同年、八田会長は石井庄八(ヘルシンキオリンピック金メダリスト)をはじめとするレスリング選手団を率いて渡米した。そして、この年サンフランシスコ講和条約が成立し、翌年ようやく占領統治下から脱した。これはただの偶然なのだろうか、
 八田会長はこの時期において、どうして大勢の選手団を連れて渡米できたのであろう。渡航費や米国での滞在費はどうしたのだろう。米国での試合のスケジュールは誰が作ったのだろう。渡米の事前の打ち合わせは誰と誰が連絡を取っていたのだろう。今考えても不思議なことばかりだ。
 しかし、もしも太田節三と八田会長が連絡を取り合って、米国でバンニング家の財産を使わせていただいたとしたら、疑問は全て解決するのだが…


なお、本連載の執筆にあたっては、吉田和正『幻の遺産』(三一書房、1996年)、田鶴浜弘『格闘技スーパースター』(双葉社、1980年)を参考とさせていただきました。
  
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