八田淑子様死去

 元日本レスリング協会会長八田一朗氏の奥様である淑子様が昨年12月9日89歳で亡くなられた。
 奥様は八田会長をよく支え、中国で終戦を迎え引き揚げてこられ、ずいぶんご苦労をされたという。 戦後はレスリングに没頭する八田会長の留守をしっかりと守り、3人のお子様を立派に育てた。その後、3人の子供達は米国に永住したが愚痴も言わず、八田会長が病に伏してから5年間、病院に泊まり込んで看病しつづけた。八田会長の死後は誰にも頼らず、好きなダンス、スケート、民謡、旅行と活発にいきいきと生活していた。スポーツ会館の理事会には必ず出席し、理事会の後の懇親会ではお酒を飲んで、私は3合までよ、と言っていつもニコニコしていた。
 淑子奥様は戦前の財閥野口家の一族で、日本レスリング協会2代目会長野口寛氏の姪であった。東京女子高等師範学校(現お茶の水大学)時代は水泳の選手であったと聞く。八田会長の参議院全国区選挙では、私は奥様の秘書を仰せつかり、全国をお供したことを思い出す。小言も思ったことをすばりと言い、あとは何も言わない男以上の人だった。
 明治・大正の女子教育は独特のものがあったのだろう。昔は、教養があり、質素で、何事にも動じないような女性がいた。特に高等教育を受けた女性には全てに長じた人がいたように思える。淑子様はこの典型的な方で、三笠宮殿下ご夫婦とも親交があり、大平元総理の奥様とも親しかったようである。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
 
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