八田会長の誕生日

 6月3日は八田会長の誕生日だ、昔傍にいた者達で、天国から降りてきていただいて、と会長の奥様を招いて会を催している。玉利斉(財)健康スポーツ連盟理事長、木谷道宣(社)ウォーキング協会専務理事を始め、15人ほどがが集まる楽しい会だ。(財)レスリング協会の新会長になった福田富昭氏も八田会長の愛弟子である。30年前、私、福田、掘米、の中から将来の会長に誰かがなると会長に訊いたら、八田会長は、なれるか?お前達では無理ではないか、と言って笑っていた。
 福田が会長になったことに八田会長は何と言うだろう。そうか福田が会長になったか、頼むぞ、レスリング協会は金メダルさえ取れば良いのだ。松浪代議士の件、何を言っているのだ、詰まらぬ事を言うのじゃないよ。代議士は国家の仕事をして評価してもらえば良いんだよ。松浪、馳、宜しく頼むよ。と八田会長は言ったと思う。
 

八田会長の俳句

中国で敗戦の詔勅を聞いて
神州の不滅を信ず夏の夢

戦争で人手を失った農家の嘆きである
麦踏が足らぬと言ひし畑はこれ

北京で帰国のための集結所で生活をした
帰国待つ壕舎の窓の吹雪かな

引き揚げ後は悪戦苦闘、昭和23年正月二日戦後は初めて作った句
いささかの衰えもみせず初稽古

生活のため青山に外苑ホテルを経営、女房はよく働いてくれた
客のなき宿の女の羽子をつく

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