無駄を省く 

八田会長は昭和五十四年に書いた『私の歩んできた道』の中で、不況の今の世の中に充分通用するようなことを言っている。ここにそれを再現してみたい。

<無駄を省く> 
 体育協会職員やレスリング協会の事務員の仕事ぶりを見ていつも思うことは、米国の職員に比べてその仕事ぶりが、非能率的だということだ。米国だと一人ないし二人でやっていることを四人五人でやっている。一般の会社でも受付には受付専門の女子がおり、暇なときには小説など読んでいる。米国では同じ受付でもタイプを打ち、電話の受付をし、書類の整理をしている。ホテルのフロントでも百ぐらいの部屋の受付を一人でやって、タイプも打つし、電話も取るしテレタイプの電報までやっている。少々電話が鳴っても上手に待たせている。とにかく一人でそれだけの仕事をしている。日本では人が多すぎる、いずれ外国式に成るであろう。今は仕事をするより遊んでいる方が多いようだ。会社で手紙を出すにしても上役が書いた物をもう一度タイプしている様だが、アメリカではタイピストが話を聞きながらタイプしている。日本人はもっと時間を大切に働くということを考えなければ、何れ人手不足の時代になるのだから、その時は困ってしまうだろう。
 嘉納治五郎先生は非常に合理的に人生を送った方だった。ちょっとでも時間があれば、手紙を読んだり書いたりしていた。電話などでも女の子に呼び出しをさせたりせず、自分で直接掛けていた。ある時先生と写真を撮る約束で十五分先生を待たせてしまったことがある。嘉納先生に怒られると思って平身低頭で参じたら、他の仕事を十五分しておいたから心配いらんよ。と言われた事があった。偉い先生だ。先生はこんな事も言っていた。出世は自分だけでは出来ない。「自分がまずうまい飯を食って、他人にも飯を食わせられるようになれ。」今の人達は自分だけうまい飯を食えばよいと思っているやつも多いようだ。自分だけ、自分の家族だけ、こんな考えでは必ず行き詰まる、自分の家は綺麗にして、道路にゴミを捨てるような人間は必ず何処かで失敗する。人間生活とは生やさしいものではない、あまっちょろい事で経済の不況など抜けられない。真剣な日常の努力と誠実さが最後にものを言うのだ。努力しないで、勝つ工夫をしないで勝負に勝てるはずがない。私にとってレスリングとは宗教のようなものだ。宗教戦争は百年もかかっている。百年掛けても金メタル十六個取ってみせる。

狩りの犬獲物を追って何処までも
戻る