八田会長が育てたもの |
八田会長はレスリング協会以外にも幾つかの団体の会長を引き受けたが、その中で最も発展したのが、社団法人日本ウオーキング協会である。米国大陸を歩いて横断した、早稲田大学の大西、木谷氏、等が中心になり、八田一朗氏を会長に迎え、昭和39年設立した団体である。その後、発展に発展を遂げ、現在は老若男女合わせて会員20万人の大組織になっており、体協レクレイション協会内の中核をなしている。専務理事の木谷道宣氏は八田会長に対し敬愛の気持ちをいつまでも持っており、毎年6月3日の八田会長の誕生日には天国から娑婆に来ていただいてとして、淑子奥様「86歳」をお迎えして偲ぶ会を開いている。今年はお孫さんの有未さんがアメリカから参加した。更に木谷氏は比叡山に八田会長の俳句の石碑を建てた。その俳句は「狩りの犬獲物を追って何処までも」を書きたかったが、比叡山側から禁漁区の場所がら「狩りの犬」はまずいとクレームがつき、「風雪に耐えて此処にも梅の花」という句を碑に刻んだ。木谷専務理事は、次は明治神宮外苑に 狩りの犬 の碑を必ず建てると言っており、我々レスリング関係者として、大変有り難いのだが、八田会長に対して何もしておらず、恥ずかしい思いがしている。 日本サンボ連盟も初代会長となりソ連サンボを日本に紹介した。二代目会長を松前東海大総長に引き継ぎ三代目はベースボールマガジンの池田社長と大物会長が続き、現在堀米泰文会長まで40年間の歴史を刻んでいる。 発展したと言えば(財)プロスポーツ協会もそうだ、現在は中曽根康弘氏を会長にプロスポーツを纏めあげているが、初代会長は八田一朗会長である。 (財)健康スポーツ連盟も初代会長は八田会長である。この財団は厚生省と文部省の両省承認の唯一の財団法人である。現理事長は愛弟子玉利斉氏である。 犬のジャパンケンネルクラブ「JKC」も八田会長が育てて、今は大組織になった団体だ。現理事長 星三光氏は八田会長にJ.K.C.会長を引き受けてくれるよう日参してJ.K.C.を纏めあげた人物で、八田会長に対する想いは我々以上で、今はケンネル界最大実力者になっている。 銃剣道協会も自衛隊だけのものであったが、会長に就任した八田会長の働きで、レスリングと並んで、高等学校の体育の選択正課にし、更に体協加盟団体とした。 なぎなた協会も八田会長は会長ではなかったが、体協加盟に大いに貢献し加盟団体とした。現在はなぎなた協会はJOCのメンバーにもなっている。 八田会長はボディイビル協会の会長も務めた。現在は愛弟子、玉利斉氏 が会長を務めている。この度ボディビルは釜山アジア大会の正式種目となった。 スポーツ団体ではないが私立足立学園の理事長にも就任し、組合運動の激しかった教員組合に対し八田会長独特の話し合いで協力を取り付け、労使一体感のある素晴らしい学園に立て直した。 最後になったが八田会長が愛情を持ち、レスリングと並んで最後まで住みかとしたのが、(財)スポーツ会館だ。現在早稲田レスリング部OBの堀米泰文氏が理事長を務め、35年の歴史を持つスポーツクラブの草分けである。私はこの財団の会長をしている。 八田会長は頼ってくれば、いかなる団体にも力を貸した。昭和50年代、60年代、の体協、JOCの重鎮、体操の近藤天 、ボクシングの柴田勝治、バレーボールの前田豊、氏等も八田会長の推挙で 頭角を現した人達だった。 |