八田会長と中国人
 八田会長は中華料理を支那飯と言って大変好んで食べていました。紹興酒を片手に支那飯を突っつく、これが一番と言っていました。八田会長は中国大陸からの引き揚げ者です。戦後、奥様と二人の息子を連れて、大変な苦労をして引き上げてきたのです。戦時中は北支開発の総裁秘書を務め、良い生活をしていたのですが、終戦と同時に一変しました。しかし会長は決して中国人を悪く言いません。
 「中国人は偉いぞ、10年、20年、100年、先を見てものを考えている。例えば人に何かしてやっても、自分の代には返らなくても良い、息子、孫、の代に返ればよいというような発想をする。君等も中国人を勉強しろよ。」とよく言われました。会長が日本に引き揚げること聞いた中国の友人が、僅かな借金を会長に返すために、一日間歩いて隣村からやってきたそうです。
 「日本人なら戦争に負けて返る侵略者に誰が金を返すか。君等は中国人をもっと勉強しろよ。侵略者が置いていった子供を大学に入れて立派に育てる国民だぞ。中国人は偉いぞ」と八田会長は支那飯を食い酔っぱらうたびに言っていました。

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