八田一朗会長の俳句 |
故八田一朗レスリング協会会長は、子供の頃、家が高浜虚子の近くだったこともあり、幼少の頃より先生に可愛がられていました。虚子次男の友次郎君とは鎌倉師範付属小学校の同級生であり、ホトトギスを主宰した俳人、星野立子さんはそのお姉さんでした。八田会長は子供の頃はとんでもない悪ガキで、ありとあらゆるいたずらをし、ひどいものでは酒屋に入り、酒樽の栓をを全部抜いて逃げたこともあったそうです。 そんな会長がヘルシンキオリンピックに監督として選手を率いてゆくときに、虚子先生が八田会長に送った俳句が 野犬にはあらずしてこの狩りの犬 というものでした。これに対し八田会長が 狩りの犬獲物を追って何処までも という返句を作り、その後もこの句を色紙に好んで書いておりました。ヘルシンキでは日本選手団唯一の金メダルを石井庄八選手が取り、北野選手は銀メタル、他の選手も全員入賞しました。そして、東京オリンピックでは金メタルを5個獲得し、 狩りの犬ついに獲物をくわえけり 翌年、参議院議員となり干支の午年の新年に 丙午初荷をつけていさめけり 東京オリンピックの前、朝のトレーニングをサボッた世界チャンピオンの渡辺長武と市口政光の下半身の毛を剃り、 剃られては決意も新たに霜の朝 それに対し私が 剃られてもいつかは巡る股の春 を作ったら会長に誉められました。その当時、オリンピック合宿所にいた選手達は、川柳ともつかない、俳句をよく作っていました。ちなみに、 糞をして拭かず飛び込む風呂の中 は現専務理事福田富昭氏の作です。 |