八田会長の顔

 自分ではまだまだと思っていたが、私は既に64歳になってしまった。最近一番嫌なことは写真を撮られることだ。友人から出来上がった写真を頂いて、俺はなんと嫌な顔をした爺だろう。とその場で写真を破り捨てたくなることもある。白髪、はげ、俺はこんなに爺かと愕然としてしまう。まあまあいい顔かなと思えるものは十枚に一枚ぐらいだ。人の顔は歳を取ったら自分で責任を持てと言われると、嫌な顔をした俺は心が卑しいのか信念がないのか、と自己嫌悪に陥ってしまう。そろそろ老人であることを受け入れ、穏やかな良い顔をした壮年になれるよう日夜努力をしようと考えている。
 それにしても、故八田一朗会長は、どの写真もどの写真も立派な素晴らしい顔をしているのには驚いた。八田会長が亡くなって二十年、やっとオリンピックでも金メダルの可能性が濃厚となり、八田精神を懐古し選手コーチに気合いを入れ直そうと、八田会長の写真を集めパネルを作ったのだが、集めたどの写真も立派に魅力的な顔なのには驚いた。勿論、元々ハンサムなのではあるが、ただのハンサムではなく、何かを発しているような面魂には、写真からでも人間の威厳を感じてしまう。おそらく八田会長は寸時とも気を許す事無く、前を向き世の中を見据えていたのだろう。嘉納治五郎の秘書をしていた青年時代の凛々しい顔、剣道をしているときの鋭い顔、皇太子時代の天皇と美智子様に御説明する穏やかな顔、どれを取ってもまさに絵になる顔である。人間、晩年の顔が人品を表すというのなら、八田会長はまさに超一流人物だろう。今の政界、経済界を見渡しても、なかなか八田一朗会長クラスの顔にはお目にかかれない。

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