八田会長の生活態度

 私が仕えていた頃の八田一朗会長は、実に堂々とした押し出しで、何処の誰と会っても一歩も引かない貫禄があった。参議院議員になって佐藤栄作総理、田中角栄幹事長に挨拶に行ったときも、堂々としてその貫禄は総理以上にも思えた。今あの頃の会長の歳を上回った自分を省みて、つくづく人間の大きさとは何か、威厳とは何か、と考えるこの頃だ。
 八田会長は毎日毎日努力していた。朝は5時には起き、夜は9時には寝た。俳句は一日に一句は作っていた。NHKの英語講座、剣道、合気道、乗馬、毎日真剣に稽古に励んでいた。いくつになっても自らに厳しく生きた八田会長の精神を見習いたい。

八田一朗句集「俳気」より

ホトトギス同人になる。
私は高浜虚子の次男である友次郎君と小学校が一緒だった。開成中学でも喧嘩で退学になるまで一緒だった。虚子一家とは家も近く、家族ぐるみで親しくして戴いていた。俳句をする環境にあったのに、子供「時代」は全く興味の無かった俳句を、長じてやるようになり、私の句がホトトギス選に入るようになって、かれらはだんだん欲が出て、同人に成りたくなることしきり、永い間自称同人であった。昭和三十年虚子先生から正式に推挙されたので私は非常に嬉しく、ヘルシンキオリンピックで石井君が優勝したときと同じような感激にひたることが出来た。昔、虚子先生が今の家に引っ越したので、我々一家が虚子先生の後に引っ越した。そして私は虚子先生の寝間であった8畳に寝ること3年、そんなことで私は自然に虚子先生の俳気を吸い込んだ。文才の全くない私が、今日俳句が出来るようになったのも此が原因となったわけである。よって私の句集を俳気と題したのである。

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