八田会長と田中角栄元首相
 八田会長は(昭和43年頃)田中角栄自民党幹事長に急に呼ばれたことがあります。スポーツ使節団の代表として、北朝鮮に行くことが決まっていた八田会長に、八田さんの考え、行動は大変率直で支持するが、この度の北朝鮮訪問は、自民党の参議院議員として行くのだから、言動にはくれぐれも慎重にと、田中角栄幹事長が八田会長に言い渡しました。これには訳があります。後に田中角栄氏の七奉行と言われた、田中派大幹部の一人、奥田敬和氏は、早稲田大学レスリング部出身で、先輩にあたる八田会長の性格は良く知っており、北朝鮮通の自民党議員としては、八田会長が北朝鮮に行って問題を起こさなければよいが、と思っていたのです。田中幹事長と会った新人議員八田一朗は、堂々と一歩も引かぬ態度で臨み 、ご主旨よく分かりました。決してご迷惑を掛けるようなことはしませんご安心下さい。と言って幹事長室を辞しました。
 当時は北朝鮮に行くには、北京まで飛行機で行き、それからは汽車に乗って平壌に入る行程でした。北朝鮮の施設を色々見学をしていたとき、ある博物館で、目に付くように天皇陛下の写真がわざと粗末に見えるよう隅っこに置いてあったそうです。この日の夜の歓迎会で八田会長はスピーチで、次のようなことを言ってしまったのです。我々日本人がもっとも尊敬する天皇陛下の写真を粗末に扱って、大切な客をもてなしているとは思えない。この様なことをするのなら貴国は友人とは思えない。と言ってしまったのです。案の定、次の日八田会長だけ汽車に乗せられ、北京送りとなったのです。帰国した八田会長は、残った奴らは誰も俺に同調せず、北朝鮮に丸め込まれ馬鹿な奴らだ。と言ってしばらく怒り狂っておりました。
戻る