八田会長と韓国人
 故八田一朗レスリング協会会長は、JKCジャパンケンネルクラブの会長も10年ほど務めておりました。参議院議員時代、先輩の源田実議員の後を引き継いで、組織が混乱中のJKCの会長を引き受けたのです。ケンネル協会は世界公認の血統書の発行権を有しており、その利権目当ての権力闘争が続き組織が混乱していました。八田会長はその押しの強さと強引さで混乱を回避しましたが、一部暴力団関係者が八田会長に迫ってきました。八田会長は暴力団の頭と会い、その組織の名を聞くと、「君の親分に、『八田のやっていることだ、手を出すな』と言え」と言って平然としておりました。その後、暴力団関係者は一度も現れず、会長の凄さに驚いたものです。
 後で聞くとこんな訳がありました。暴力団の親分は在日韓国人で八田会長を大変尊敬していた人物でした。昭和30年代の日本には、在日韓国人に対する偏見があり、あらゆる場合に不当な扱いを受けておりました。韓国で行われる国体に在日韓国人は参加したかったのですが、日本への再入国に際し、日本人のそれなりの地位のある人の保証が必要でした。あまり引き受け手の無かった当時、八田会長はいかなる在日韓国人の保証も引き受けておりました。この事を知って親分はいたく感謝し、八田会長を敬愛していたのだといいます。その後も八田会長は韓国レスリングの発展に助力しました。その甲斐あって、モントリオールオリンピックでは韓国初の金メダルをレスリングが獲得しました。
 八田が亡くなった時、まだそれほど裕福でもなかった韓国から、続々と弔問の客がきました。遠いところをすみませんと言うと、「先生の葬式に来るのは当たり前でしょう」と怒ったようにいっていた李さんの言葉が、儒教の国韓国の心を象徴していました。

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